尻尾をかんだ蛇とともに

リコード法による奇跡の回復

1年とすこし前に公開した記事に追記をしています。

若年性アルツハイマー病に侵され 命の危機に瀕していた主人が このあとに出会ったリコード法取り組みによってMMSEで10ポイントという奇跡的回復をし現在も回復傾向が続いています。

アルツハイマー病が残した傷あとのリハビリは厳しいものがありますが、毎朝ひとりで着替えてランニングに出かけ 規則正しい生活を送り 一旦あきらめた音楽活動にも復帰しました。

過去を見ると かなりシビアな進行状態で 「アルツハイマー病の真実と終焉」でも回復が難しいと記述されているケースに見事にあてはまることがわかります。それにもかかわらず、 ここまでのQOLアップが可能であれば より多くの方がもっと素晴らしく回復することができるのではないかと思い発信を続けています。

アルツハイマー病は進行するのみ、とあきらめないでチャレンジしてみようと思っていただければと願います。



以下 過去記事です


こんにちは&はじめましてMUSICA YOROZUです
オーボエ奏者の主人とのユニットYOROZU×YOROZUの活動をとおして考えた「若年性アルツハイマー病」 ふりかえりとまとめのブログ第10話ですこれが現実 アルツハイマー病から 引っ越してきました

若年性アルツハイマー病の夫とともに

初診から3年と3か月最近の様子

・朝のコーヒーを寝室へ・・・布団の上にとりおとす
 アクリル毛布 ふとんカバーの洗濯でクリア

・散歩の際 時々右足を引きずる
  つまづくほどではないが 注意が必要

・ブルゾンのファスナーに苦労する
 できるまで繰り返して着用

若干のやり直し時間があれば問題なく生活が可能。当人感覚では不便を感じていない

これまでのおはなし

・誤解だらけの難病 若年性認知症 1~4

・若年性アルツハイマー病 / 尻尾をかんだ蛇 1~4

  をごらんください

尻尾をかんだ蛇とともに

脳機能の低下によって引き起こされる症状を自覚するのも脳機能である

アルツハイマー病にかかった脳は自らが破壊されていく危機感を感じ続けることができない
ダメージがダメージの存在を意識の中から消していく

へびが自らの尻尾をくわえ 自らをのみこんでいくように

オーボエを練習すること オーボエの基礎訓練を怠らないことが 生きがいの主人であり オーボエを通じて発見する運動機能の不具合に挑むこが 日常生活の動作の維持につながっているのはたいへんありがたいことである

好きなことを続ける 楽しめることに没頭することこそ 最大の機能維持のプログラムと言えるだろう

しかしながら

基礎訓練が 月ごとに 週ごとに 困難になっていき ひとつひとつの動作に要するエネルギーはふくれあがっていく その事実に本人は気づかない

”尻尾をかんだ蛇”は もし認知機能が正常なら感じるはずの「絶望」をのみこんでくれているのだ

脳機能の欠落によってわが身がじりじりと制御不能に追い込まれる恐怖を感じないでいられるのもこのこの蛇のおかげと言えそうである

日常の動作においても 不具合を不具合とする認識のレベルが低下し 本人的には不具合の自覚はほぼない
とはいうものの 直接身体感覚にうったえてくる不便からのがれるわけにはいかないので さまざまな「物語」がうまれてくる

あぶない!

診断から3年と3か月 ありがたいことにまだ普通に生活ができている

とはいえ 症状は確実に進んで不便と危険が地続きの状態でかろうじて無事な毎日 しかも 危険の増大と本人の自覚は反比例しているので 本人感覚では「なあんだ なんでも普通にできるじゃないか」になっている

さらに 瞬間的な出来事に対する認知スピードが落ちているので 「危険」を「危険」としてどのように伝えるかが難しい課題となる

変わりかけの信号

変わりかけの信号 渡れるかわたれないか
急ぎ足 小走り 判断がつかずゆうゆうと歩く・・・これは危ない

しかし

「信号変わるよ 急ごう」と声をかけて 手をひいて小走りにわたろうと・・・


これは 実はもっと危ない

エピソード その1

ゆうゆうとあるく主人に軽くふれ「急ごう 危ないよ」といったところ 道路の真んで手をふりほどいて仁王立ちになった

「なにするんだ!あぶないじゃないか!!」と信号が変わってしまったことに頓着しない

エピソードその2

「もうすぐかわるね 急ごう」と声をかけてうながしたところ とっさに足がもつれ転倒 鎖骨を骨折した

素人なりの考察

「危ない」と声をかけることで危険を伝えることが有効であるためには 普段なにげなく行なっている一連の動作を分解してみる必要があると思う

「信号変わるよ 急ごう」と声をかけて 手をひいて小走りにわたろうと・・・

ここには4つの要素が含まれている「声をかける」「手に触れる」「引っ張る」「歩調のガイドをする」

減少していく脳機能をやりくりしながら 外界を認識している本人に この刺激のシャワーがどのように感じられているのだろうか

まず「声をかける」にふくまれる要素
 ・音としての「声」
 ・発音としての「音の連続」
 ・意味としての「言葉」
 ・内容理解としての「声かけ」

「手に触れる」にふくまれる要素
 ・異物の接触としての感覚
 ・触れたものが「手」であるとの認識
 ・「手」の主が誰かという理解

「引っ張る」「歩調のガイドをする」にふくまれる要素
 ・なんだかわからない急激な力
  ・前方への推進力と方向性

これらが一斉に押しかけてきたときに 認識をどの段階まですすめることができるかには 個人の傾向と進行のレベルがかかわってくると思われるが 主人の場合をチャートにしてみるとこのようになると思う

連続する音+異物の接触+急激な力→恐怖→→体のこわばり→転倒

上記の3つの刺激→恐怖→言葉の理解+妻の手+引っ張り+先行の恐怖体験→怒り→→仁王立ち 振り払い

この 信号のエピソードだけでなく日々の生活の中で出会う小さな「危ない」が恐怖と怒りを誘発して、 もっと「危ない」を招くことがよくおこる

そういった場合 あとからゆっくりと話し合うと 随分事象が変形されて記憶に残っていることがわかる

エピソード2の場合

「オマエに突き飛ばされて 道路の真ん中に飛び出してしまい立ち往生することになった。危ないじゃないか!」と変形する

この変形は

認知症のひとは なにをするのかわからない
自分の行動はたなあげする
通じないのだから コミュニケーションのしようがない

などの偏見を生む原因になっている気がするのだが

感情(印象)の記憶と事象の記憶

変形のメカニズムは(これも素人なりの考察に過ぎないのだが)このようになるのではないだろうか

多くの刺激が一時に押し寄せたとき 処理しきれなくなった脳はインプット制限をかけ いくつかの刺激を消去、残った情報をもとに記憶を再構成する

忘れるのではなく 変形する 

そして 当人にとっては変形した記憶こそが事実そのものなのだから 決してたなあげしているわけではない


mihiroさんのブログ「若年性認知症の旦那様と共に」参照ください


さて 主人の場合だが 根気よく聞き出していくと 変形には 感情に作用する事柄や印象などが優先されるようである

感情と記憶とは別々の場所に貯えられるためだろうか

まず 感情ありき そして そのまわりを まあ ありえなくもないかなと言うことがとりまいて ある意味つじつまはあっている

中心にある印象がプラスの場合 全体としてしあわせな物語として

マイナスの場合にはこじれた物語として

「記憶の変形」

感情のバイアスによる記憶変形は誰にでもおこるもので アルツハイマー病の場合変形が顕著だということにすぎないのではないだろうか

記憶の核になる「感情」を意識することで 混乱のうちかなりのものが解消できる気がする

課題は危険をどのようにして伝えるか

今後の取り組みの中で発見していきたい


これまで と こらから

主人が若年性アルツハイマー病と診断されてから 3年と3か月
はじめの混乱が過ぎ ずいぶん自分たちの現実を冷静に見られるようになってきました

今とても残念に思うのは なぜ あの頃あんなに混乱しなければならなかったのか

そもそも若年性アルツハイマー病とはどんな病気なのか
情報もイメージもどうも曖昧で落ち着きが悪い気がして もがき苦しんでいました


長い時間をかけて進行するあいだに通過する様々なステージ (信じられない!)
医学的な所見と 処置・介入(どういうこと!?)
個々のケースに訪れるドラマ (ホントにそうなるの?)
本人と介護家族の物理的な問題とそれに対する工夫(実感わかない)
こころのケアや知恵(・・・といわれても)
社会的な問題・・・不確実な情報から生まれる偏見(私たちの何がが悪いんですか?)


切り口がたくさんありすぎて 立ち位置がわからなくなっていた気がします
少しでももつれた糸がほどけますように との思いで始めたブログです
このページでは可能な限り 分析的な視点で綴るようにしています


生活視点 生身で体当たりのブログはこちらです~そのまんまでいいよ&ゆっくりしいや~


一年間を振り返ったあと 分析を利用して 初期の間にチャレンジできることをリアルタイムでレポートできるかと思っていましたが この2ヶ月ほどの間にまた様子が変わってしまいました

また未知の世界へ突入ですが 客観的レポートをこころがけて続けてまいります

病を題材にしていますが 行きつく先は

生まれて 生きて 去っていくさまを見つめること

になる気がします


若年性アルツハイマー病は人生を早回しのフィルムで見せてくれる病なのかもしれません

人生時計


みんなで若年性アルツハイマーな生活を理解しようの会

下記リンク 興味をもっていただけましたら ぜひともご参加ください



大風呂敷プロジェクト


今、見直してみて

これより追記です
未知の病に対して よくぞ分析、対処できていたものと思います。このあと主人はさらに進行、恐怖や怒りよりも あきらめと無関心へと向かいました。
家族の精神的負担はある意味軽くなり あきらめ と 無感動で安定へとむかいます。
全ての思考力が停止した状態です。
できないことが増えていくことが当然、認めてしまえば当たり前、不思議でもなんでもないのです。
そして
そこで リコードとの出会いがありましたが 理解し前進する気力はありませんでした。

「暇つぶし」

日がな一日 主人とふたり家にいる、日々の変化は受け入れざるを得ない哀しい状態、主人の気配を見失わない範囲でどうやって主人から目を背ける時間を作るか、それがリコードだったように思います。

「アルツハイマー病の真実と終焉」はありませんし、原書の "The End of Arzheimer's"の出版もまだでした。何をしているのか、何が目的なのかもわからず、頼りにしたのはこちらのサイトです。


ブログ管理者様からのアドヴァイス、励ましもいただきながら日数がすぎるうちに主人に変化が起こり始めたのです。そんな状態でよくぞ回復路線に乗れたものだと思います。

1年の間に事情が随分変わりました。
書籍を読めば 大まかなイメージがつかめます。
今では実行者、効果をあげている方々も増えてきました。

引き続き現在進行形のレポートを続けてまいります。


コメント

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