アルツハイマー病 診断直後の課題 ・待ったなし!人格の回復と社会的な再生への取り組み


こんにちは&はじめましてMUSICA YOROZUです

若年性アルツハイマー病 中期にさしかかり
生きがいだったオーボエの演奏を奪われていく音楽教師
ゆるやかに変化していく日常は見知らぬ世界へ
同行二人旅の記録となります

様々なタイプがあり それぞれの症状がある若年性アルツハイマー病において
私たちが体験する実例その7




尻尾をかんだ蛇

脳機能の低下によって引き起こされる症状を自覚するのも脳機能である

アルツハイマー病にかかった脳は自らが破壊されていく危機感を感じ続けることができない
ダメージがダメージの存在を意識の中から消していく

へびが自らの尻尾をくわえ 自らをのみこんでいくように

1億総活躍時代?

認知症患者の増加はいまや社会問題である

介護福祉費の増大だけでなく 労働人口にも打撃を与えることになるのは少し考えれば納得できること
患者本人のみならず、介護家族の社会的時間が著しく制約される
現役世代で発症する若年性認知症患者1に対しなんらかの影響を受ける労働人口は当人含めて2以上

本当に認知症患者は社会の重荷でしかないのだろうか?

子育て世代を労働力として引きずり出そうとしている現在 もう少し真剣に考えてもいい問題だと思う

社会人として

主人の生活
やり直しは増えているが これといった日常生活の不便はない状態で 毎日が過ぎている
布団をあげ 雨戸をあけ 着替えて お気に入りのCDをかける
新聞をとってきて一枚一枚めくり ゴミの日と廃品回収日には外回りの掃除
思いつくままに たっぷりの時間を使って一日の活動をこなしていく

何の不便もない
いっしょに生活していても 大して違和感はない

時間内に高パフォーマンスを争うことは無理だろうが 社会人としての生活から締め出される必要がどこにあるのだろう?
お互いに低パフォーマンスを承知で それに見合った労働力と考えることはできないのだろうか
低コストで若い人材を使い倒そうとする労働構造
労働全体に求められる 不自然な「高パフォーマンス」のイメージを考え直すきっかけにならないだろうか

二つのパラドックス

個別にみれば 診断後も環境配慮で働き続けられるケースもあり また 取り組みとしてのカフェや作業所なども増えてきている昨今である

しかし

一つ目
緊急でないことが緊急を生み出す

とはいうものの 緊急の課題であるという危機感はうすい

福祉における「緊急性」の対象となる 進行した状態ではなく 即 対応に当たらないため 後回しになるのも仕方ないが 間違いなく進行し あっという間に「緊急」の事態へと移行する

もう一つの問題
医療から福祉への非連続性

診断直後の少なからぬ精神的ショックと 脳機能の低下への戸惑い、疲労感などを考えたとき「ゆっくりと」回復を待つ・・・
待っていたら 進行してしまうのだ!!その時間は2度と取り返しがつかない

本人 及び家族の 人格の回復と社会的な再生のためには 専門的でデリケートなサポートの必要を感じる

キーワードは「穏やかに」であったり「自然に」であって 断じて「ゆっくり」であってはならない
ちがうだろうか?

脳梗塞などでは 医療機関でのリハビリ(機能回復訓練)が必ずくみこまれている

なぜ 認知症にはないのか?機能回復をはなからあきらめた対応である
たしかに医学的な機能回復はありえないが 社会的な機能回復を放棄するのは人権の侵害とも言える
診断をつかさどる医療機関と福祉のあいだに システムとしての再生プログラムを構築できないものだろうか

雨が漏ったから バケツを持ってくるのではなく 雨が降る前に屋根の修理をするほうが合理的である

回復と再生への支援は急げ!

生徒の能力を開発する 音楽塾 を運営・主宰してきた私は このような場面において有利であったとおもいます

本人が生き 同時に家族が生ききる
人としての能力を活かしきる

そのような視点は私が長年やってきた仕事そのものだったので まよいは全くありませんでした

「脳機能障害の疑い」の言葉を聞いたその日から 当人の自覚はさておき準備 根回し ネタのストックをはじめたのです
その結果が

まにあわなかった
まさかこんなに早く事態が変化するとは!

なのです

「疑い」から「確定」までの1年半の間に 職場に診断書を出し 業務への配慮ねがいをし 義母に説明をしてしこりを解く努力し サイコセラピーの体験をし

「確定」から「退職」までの半年間 あちらこちらで事情を説明して 活動場所の提供をたのみ 主人へのサイコセラピーを施し

悲しいことに 空振りも多かったのです。緊急性を理解してもらえず「いずれまた・・・」

支援とは 障がい者として隔離し 養護するものなのでしょうか?
いずれそこへ至るにしてもそれまでの時間に対しての 回復と再生
悲しくも短期間で終わる可能性が大きいですが 社会への受けいれは無理なのでしょうか?

急げば間に合うのに

たしかに 診断直後 混乱のさなかにある当人と家族にとって 「そっとしておいてほしい」というのはあるでしょう

だからこそ 医療でもなく 福祉でもなく 全体を把握した専門家の人格回復へのリハビリともいえる「穏やかで自然」な介入を と思うのです。「ゆっくり」であってはいけない!と

当人にとっての普通を慮る

以上は、まだ充分に自立していて 役立つ能力があるにもかかわらず 事実上社会から締め出され 再生かなわず能力が失われていく主人を目の当たりにしての疑問ですが それは私から見える風景

主人にとっては・・・

記憶の抜け落ちでワープする分 一日が短く感じられているのかもしれない
手間取って時間がかかっているため 休む間もなく 充実しているのかもしれない

時間はゆっくりとすすみ 一日はどんどんとすぎていくのかもしれない

本当の幸せは?
世界はどのようにかんじられるのか?とても知りたい

本人にとっては違和感がないことなので あえて語ることもない そんな「当人にとっての普通」を知ることができて 時間的に「間に合う」サポートができないものかと いつも考えています

みんなで若年性アルツハイマーな生活を理解しようの会

下記リンク 興味をもっていただけましたら ぜひともご参加ください




渡れない川をはさんで

私には主人から見えている世界を正確に知ることができず また 主人の方からも私のいる世界を把握することがむずかしくなる そして 二つの世界をへだてている川は時とともに幅を増していくのはさけられません

生活視点 生身で体当たりのブログはこちらです~そのまんまでいいよ&ゆっくりしいや~こちらもよろしくお願いします

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