ReCODEプロトコルによる回復実感はこのように・・・
”The End of Arzheimer's”「アルツハイマー病の真実と終焉」の
ReCODEプロトコルをもとにした取り組み11カ月めとなりました
Dr.BREDESENも回復困難というⅢ型です
邦訳版「アルツハイマー病の真実と終焉」の出版
日本人初の ReCODE認定ドクターの誕生
アルツハイマー病が改善を目指した行動が可能だということが
日本でも現実になり始めました
本来、治療行動は当事者が主体の物のはずですが
ある程度進行したアルツハイマー病では
介護者の協力なしには成り立ちません
回復の実感も 本人にはわかりにくいようです
アルツハマー病は「尻尾をかんだ蛇」
具合の悪かった期間の自覚が難しい
自らの状態を認識するアンテナが侵されていたのですから
ReCODE生活を 実行の困難と改善の喜び 不安や落胆など
介護者目線でふりかえってみたいと思います
ReCODEプロトコル
反応がゼロということは絶対にありません
私たちの改善はこのようにしておとずれました
Dr.BREDESENが回復困難!にあげている条件を
すべて満たした(笑)状態からです
本で紹介されているような「美しい」回復ではありません
現実はこんなものだとの一例として
現実はこんなものだとの一例として
ダメ元期
夕食の会話に参加
「アルツハイマー病は治らない」「生活環境を整えて 進行をできるだけゆっくりに」「残り時間を大切に輝けるように生きましょう」etc. けれど Dr.BREDESENが「ビルに手榴弾」と表現するⅢ型アルツハイマー病は 恐ろしい進行をする。朝できていたことが夜できるとは限らない!
毎日 緊張状態で「思い出作り」に集中していた中 これも思い出のひとつになるだろうと ココナツオイルの摂取。その日の夕食のときに、いつもなら無反応で食べたらすぐに席を立っていたのにギャグをいっぱつ!椅子から転げ落ちそうになったけれど、いま思えば初めの回復の兆候だったのだろう。
※ReCODEプロトコルとは関係なく ココナツオイル以前に低糖質食を3年まえから、半日断食を1年前からなどいくつかを健康法として取り入れていたので 反応が早かったのだと思われます。
事故なく外食
そこから2週間 結婚記念日にラウンジピアニストとしてのの次男の初仕事が重なり こっそりと食事に。いつもと違うことをするとパニックになるはずが、その日は昼間も外出していて しかも急に思いついたことだったのに リラックスした時間を持てて、「こんなこともあるんだ・・・」とびっくりした。その1か月前に 私のお誕生日のお祝いを計画したときには「もう、2度とできないかもしれないよ~普通にお祝いしてほしいよ~」と泣いてたのんでテーブルの上がガチャガチャでも構わない回転ずしでやっと食事ができたというのに。
この時はただの偶然だと思い、ひとつ積み上げられた思い出に感謝をしました。
やってるだけ期
洗濯ものを干してくれる
検査ができないままにReCODE見切り発車して1か月。相変わらず外出もせず、反応もちぐはぐな日々ながら 少しずつ活動的になっていった気がする。退職後から「リハビリになるから」と続けていた洗濯物を干すということができなくなっていたのは ReCODE開始半年前。「おーい、洗濯機の使い方を教えてくれ」という言葉に驚く。5月の陽気のせいで 気持ちよく干してみたくなったのだろう、くらいに思った。洗濯機のスイッチを入れ、干し、取り入れ、分類・・・「リハビリ、リハビリ」と言いながら、日に日に洗濯物関連の行動がスムーズになる。
バスの乗り換えができる
新聞広告でコンサートをチェックして 行きたいと。けれど よく知っているはずの会場の場所がわからないという。「思い出作り」に事件、事故を覚悟で一緒に出かけたのだが、いくつもある経路からタイミング的に最適な乗り継ぎをピックアップして 方角も失わずに歩く。その1年前には まったく乗り継ぎのイメージが持てずにパニックか無気力だったのだ。
バスの乗り換えができる
新聞広告でコンサートをチェックして 行きたいと。けれど よく知っているはずの会場の場所がわからないという。「思い出作り」に事件、事故を覚悟で一緒に出かけたのだが、いくつもある経路からタイミング的に最適な乗り継ぎをピックアップして 方角も失わずに歩く。その1年前には まったく乗り継ぎのイメージが持てずにパニックか無気力だったのだ。
しかしまだ 小さなパニックや 思い込み 着替えの不自由などは依然としてあり これが改善だとは思えなかった。「どうせダメだ」「それでも思い出」と毎日を過ごしていた。
もしかして期
コンサート成功
ReCODE開始3か月 1曲だけだけれどオリジナル曲をコンサートで演奏する。ダメなら差し替え覚悟の企画だったから この成功は改善したといっていいのではないか?もしかして・・・
ReCODE開始3か月 1曲だけだけれどオリジナル曲をコンサートで演奏する。ダメなら差し替え覚悟の企画だったから この成功は改善したといっていいのではないか?もしかして・・・
遠征成功
そこから3週間 5曲を携えて遠方のデイサービスへボランティアコンサートにお邪魔。「思い出作り」の旅行もかねての計画にパニックになることもなく存分に楽しんで帰宅。外出のたびに荷物の取り扱いでパニックを起こしていたことを思うと奇跡としか言いようがない。
邁進期
3時間刻みの苦行
邁進期
3時間刻みの苦行
検査は依然としてできていないまま Ⅲ型対応の解毒をスタート。しかし 以前の進行スピードを考えるとサプリの摂取プログラムも省略するのは怖すぎたため 1日8回 アラームをセットして駆け回り 3時間ごとに様子をチェックしながらの2ヶ月間を過ごした。
もはや自宅はReCODE道場で、ホッとすることもなく、夜 主人が眠ってから物事の整理や調べ物をして、翌朝 アラームで飛び起きてサプリの準備をする生活。ただならない変化を目の当たりにしている興奮状態で何とか身体は持っていたが、疲労は徐々にたまっていたことだと思う。
本人的には 規則正しい生活だと安心するらしく さほどにストレスは感じていない様子。
”The End of Arzheimer's”入手
病識がなく 無期限バカンスを機嫌よく過ごしている気分の主人にも なんとなく「これは大変だ」という気分を目覚めさせる
リハビリの始まり
書こううと思った字が書けない、言おうとした言葉が出てこない。これまで気づかなかった(?)現実に愕然とする。本人的にはある意味コペルニクス的転換。「勤めにもいかず、人にも会わず、使いもしなければそれは当たり前だろう」と必死で言い訳をするが これまでのように言い訳で終わらず「リハビリがいるな」との発言が出る。冷静さや気力、体力の充実だと思われる。即日 オリジナルプログラムを作成、リハビリスタートとなる。
お祭り期
その後1カ月間 脳トレで確認できる鮮やかな変化のオンパレードで 回復祭りが始まりました。1日ごとに新しいことができるようになる!興奮状態で これまでのプロトコルや介護の疲れも吹き飛ばし イケイケ状態です。あまりの変化に大学病院の主治医もいぶかしがって、2カ月半のインターバルで異例の詳細検査を実施、MMSEで5ポイントアップという結果が出ました。これは このまま超速完全治癒も夢じゃない。真剣にそう思いました(現実はそこまで甘くありませんでしたが・・・)
すったもんだ期 その1(びっくり)
さて これから私たちに起こったことは 脳の機能とはどういうものなのかを深く考えさせるものでした。Dr.BREDESENの著書にも、ReCODEを紹介するYoutubeにもその記述はありません。お祭り騒ぎのつづきに自覚がないまま 突入していった不思議現象の森。そこは日ごとに深く、もつれにもつれた世界で プロトコルでの消耗、ReCODE以前の絶望の介護期から引きずっていた疲労と相まってできることなら逃げ出したい、そんな苦しい期間でした。
突然の能力消失
いやはやこれは驚く。リハビリで順調に回復を見せていた事柄が ある日突然、ドロンと消えてなくなる。昨日までご機嫌で弾いていたピアノが いきなりボロボロだったり、どうにもこうにも漢字が読めなかったりetc.
ある日突然 どころか目の前でいきなり「ここはどこ?」状態に陥ったり。かなりびっくりするのだけれど 次の日には解消していて むしろ以前よりクリアな状態に一気に進化したりする。場合によっては数十分の間に バチン と火花が散るような再獲得がある。
そのパターンだとわかっていても「もしかしたら急激進行!?」と恐れおののくし 本人は訳が分からずパニック状態になるし ホトホト疲れてしまいました。
たぶんこんなことが起こっていた?
信号の流れは左から右です。真ん中の細胞がダメージ状態だとします。
Aの状態:厳しいながらもなんとか信号が通って生活がんばっています。リハビリで刺激がくりかえされて 辛いながらも信号量を増やそうと必死な真ん中の細胞くん。そしてすこしずつリハビリの効果が上がっていく。
Bの状態:ダメージのある真ん中の細胞くんはついに刺激の量に耐え切れなくなって信号を伝えられなくなる。と、いきなりの機能消失がおこる。
Cの状態:これではいけないと思った両端の細胞たち、えいやあっ!!といきなりつなぎ直しをする。イッキ能力返り咲きとなる。パっと復活。まさにドロンパ。
すったもんだ期 その2(焦り)
1カ月ばかり経ち、相変わらずのドロンパの繰り返しですが、ドロンする機能がより重大なものになり 復活までにより長い時間がかかるようになっていきました。これは、もう、恐怖でしかありません。
検査が十分にできていない状態ですから「ケアできていない毒素がまだ存在していて 脳神経を破壊し続けていたとしたら!?」 の焦りに追い詰められていきます。
「検査してください!お願いです!!」
診察室での叫びに「で?それでどうするつもりなんです?変なこと言わないで」と対応され、簡易検査(質問や描画)で主人ができなくてオロオロする様子を見て「ちょっと落ち着いてリラックスして調子がよかったってことがありますからね(だから、改善なんてありえないといったでしょう?)」と気の毒そうに言われ「奥さんがあんまりあれこれ一生懸命だとご本人の負担になってよくないですね」と説教され「研究でやってるとこがないか調べてみましょう」とあやすようにごまかされetc...
ここでホントにもっとあざやか&完璧な回復があれば「ReCODEは現実に効果があるんです!!四の五の言わずに検査してくださいっ!」といえるのに、と責めるともなく自分を責めて 検査をしてほしい本当の理由は 毒素の特定なしに回復は危ういからだと伝えきれず、ジレンマに苦しむ。そんな私の状態を見て 主人は不安になり、の悪循環で わたしはゴッソリと髪の毛が抜けてしまいました。
ReCODEが本格上陸した今、この恐怖とジレンマを経験する人がいなくなってくれることを願います。
検査を実施してくれる医療機関についてReCODEプロトコルにまつわる困難とリスクについての考察のなかのアタックするならこんなクリニックをご覧ください。
そんな中で 主人が私を守ってくれたり 気遣ってくれたりする言動が増えてきたのは 存在の深い部分の回復を意味する現象だったと思います。主人が主人らしさを取り戻しているのなら 病院でうける検査の結果などどうでもいいではないか、この状態を守りたい!なんとも切ない時期でした。
すったもんだ期 その3(恐怖)
さらにその後2ヶ月ばかりのこと。初めのころは「住所の中の画数が多い漢字が書けない」「漢数字での年号が読めない」などの他愛のないドロンだったものが 「洋服の裏表が確認できない」「活字と手書き文字で書かれたものが同じと認識できない」など なぜ今頃ふたたびそうなる!?という現象へと深まり、ついには「お前はさっきこう言っただろう!」と幻聴、妄想から 怒りや恐怖。暴言や暴力となり 運動機能的な 混線からつまづいたり 収縮した筋肉をほぐすのに苦労したり 口元からの食べこぼしなど まるで中期、後期症状がモザイクになって襲ってくるような状態になりました。
相変わらず検査はできていません。急激な進行だったら!?もう、恐怖どころではありません。
恐れの中ながらもReCODEのプログラムの質的なアップはできる状態でしたから(理解力や記憶力は保持。いえ、アップ。体力的な安定と筋力アップなど・・・総合的にはあきらかに改善)ひたすら 食事、睡眠を確保、運動と脳トレではステップアップを繰り返して いました。
たぶんこんなことが起こっていた
認識の構造は層をなしていると言われています。これは全くの推測ですが「回復祭り」が始まったころは 同一の層の中での小さなエリアでのシナプスのつなぎ直しが主だったのではないかと思います。そしてシナプスの 死滅、再生、つなぎ直しがより広い範囲で起きるようになり、相互に影響を及ぼすようになり、混乱の深刻化が始まったのでは?
さらに 層をまたいだシナプスの「つなぎ間違い(?)」や 「とりあえずつながってみた」という現象が起こるようにうなり とりあえずつながった部分の不便を実感して放棄して、さらに新しくつながるところを創りだして・・・(上記、シナプスのつなぎ換えの図)
幾重にも重なった認識と認識をハシゴでつないで 上へ上へと上げていき 最終的にアウトプットする。途中通れると思ってた道が切れてしまったり、ちがう道を作ってしまったり ハシゴをかけ間違えたり、いつまでたっても最上部までのぼれなかったり。そんなイメージを絵にしたら、「ヤコブの梯子」のようになってしまいました。(ミヨーの【ヤコブの梯子】は主人のお気に入りの曲です。いつかまた演奏できることを目標にリハビリやっています)
とはいえ 混乱の最中には 脳卒中で起こるような半側無視や前頭症状や側頭葉癲癇であるような全能感など、それから、自身の心のつぶやきが現実の声として聞こえたりありとあらゆる神経症状が出たり消えたりして、介護鬱から心中!?あるいは錯乱した主人に私が殺される?本当にこわかったです。
そんな混乱でしたが どうやら2ヶ月ぐらいで通過、少しはハシゴの整備ができたようです。
すったもんだの余波(←いまここ)
まだ、決してすべてが解決したわけではなく 言語と手指の動きにかなり厳しい障害がある主人です。そしてやはり「あらら・・・」と能力の消失が起こる。スピード感的に言うと、もうドロンパとはいえません。一部の能力だけが しっかりと消失してしまう。そして消失した能力が修復されてよみがえるのか、もしかしたらこのままなくなっていく方向のダメージなのかの区別もできません。戻ってくると信じてプログラムをこなしながらじっと待つ以外ないのです。いまのところ、継続的・致命的な消失はありません。
ずいぶん長くかかりましたが、やっと 必要な検査ができる感じになり、結果によって次に何をするべきかがだいたい見えてきました。
何事もなければ長い長いリハビリがあるのみです。
RECODEプロトコルに必要なものは 毎日根気よくつづけること。どんなにつらくなっても信じること。身体と命を守るための当たり前の行動だから 必ず良い反応があります。主体は本人、そして支える家族。
中途半端な実行は危険なこともありますから、しっかりとしらべてください。
ReCODEプロトコルにまつわる困難とリスクについての考察
アルツハイマー病とどう生きていくか あまりにも過酷な選択
相変わらず検査はできていません。急激な進行だったら!?もう、恐怖どころではありません。
恐れの中ながらもReCODEのプログラムの質的なアップはできる状態でしたから(理解力や記憶力は保持。いえ、アップ。体力的な安定と筋力アップなど・・・総合的にはあきらかに改善)ひたすら 食事、睡眠を確保、運動と脳トレではステップアップを繰り返して いました。
たぶんこんなことが起こっていた
認識の構造は層をなしていると言われています。これは全くの推測ですが「回復祭り」が始まったころは 同一の層の中での小さなエリアでのシナプスのつなぎ直しが主だったのではないかと思います。そしてシナプスの 死滅、再生、つなぎ直しがより広い範囲で起きるようになり、相互に影響を及ぼすようになり、混乱の深刻化が始まったのでは?
さらに 層をまたいだシナプスの「つなぎ間違い(?)」や 「とりあえずつながってみた」という現象が起こるようにうなり とりあえずつながった部分の不便を実感して放棄して、さらに新しくつながるところを創りだして・・・(上記、シナプスのつなぎ換えの図)
幾重にも重なった認識と認識をハシゴでつないで 上へ上へと上げていき 最終的にアウトプットする。途中通れると思ってた道が切れてしまったり、ちがう道を作ってしまったり ハシゴをかけ間違えたり、いつまでたっても最上部までのぼれなかったり。そんなイメージを絵にしたら、「ヤコブの梯子」のようになってしまいました。(ミヨーの【ヤコブの梯子】は主人のお気に入りの曲です。いつかまた演奏できることを目標にリハビリやっています)
とはいえ 混乱の最中には 脳卒中で起こるような半側無視や前頭症状や側頭葉癲癇であるような全能感など、それから、自身の心のつぶやきが現実の声として聞こえたりありとあらゆる神経症状が出たり消えたりして、介護鬱から心中!?あるいは錯乱した主人に私が殺される?本当にこわかったです。
そんな混乱でしたが どうやら2ヶ月ぐらいで通過、少しはハシゴの整備ができたようです。
すったもんだの余波(←いまここ)
まだ、決してすべてが解決したわけではなく 言語と手指の動きにかなり厳しい障害がある主人です。そしてやはり「あらら・・・」と能力の消失が起こる。スピード感的に言うと、もうドロンパとはいえません。一部の能力だけが しっかりと消失してしまう。そして消失した能力が修復されてよみがえるのか、もしかしたらこのままなくなっていく方向のダメージなのかの区別もできません。戻ってくると信じてプログラムをこなしながらじっと待つ以外ないのです。いまのところ、継続的・致命的な消失はありません。
ずいぶん長くかかりましたが、やっと 必要な検査ができる感じになり、結果によって次に何をするべきかがだいたい見えてきました。
何事もなければ長い長いリハビリがあるのみです。
RECODEプロトコルに必要なものは 毎日根気よくつづけること。どんなにつらくなっても信じること。身体と命を守るための当たり前の行動だから 必ず良い反応があります。主体は本人、そして支える家族。
中途半端な実行は危険なこともありますから、しっかりとしらべてください。
ReCODEプロトコルにまつわる困難とリスクについての考察
アルツハイマー病とどう生きていくか あまりにも過酷な選択
ここに経験者、仲間がいます。アルツハッカー掲示板メンバー登録
個人的に連絡くださってもいいです!
私たちよりももっと大きく改善する可能性のある方が大勢いると思っています。
改善が難しいと言われる型ですが 私たちはあきらめていません。
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